モラハラ夫の支配に気づき別居 人生V字回復しアラフィフで離婚するまでの6年間の実話

モラハラ·経済的DV夫と突発的に別居し経済的自立を果たす過程で本当の自分に行き着いたアラフィフ主婦の実話

【第4話】最大の事件 私はこれでモラハラ夫を断捨離しようと決意した

今回の話を書くのに、かなり勇気が
必要でした。ミント🍀にとって、辛く思い出したくない部分の記憶だからです。

でも、きっと昔の私のように今、とても苦しんでいる方がいるかもしれない。 
どんな小さなことでも何かヒントになれば!そんな思いで続きを書きますね★

娘が生後2ヶ月間近という、
育児にはとても大切な時期から3ヶ月間、
無職でいた夫。

家の中でのみ、俺様キャラだったので、
夫は、自己破産で司法書士事務所へ行くときは、借りてきた猫のように、小さくなっていました。

この様子って、割りとモラハラしてる人
当てはまったりしませんか?
家では俺様なのに、一歩外に出ると
丸で違う人物に成りすます。

そんな、オドオドする様子を見て
(ざまあみろ(笑))
と正直思ってしまっていた
ブラックなミントです(笑)

夫自身の自己破産後、
夫はようやく職に就きました。
その頃、季節はもう既に夏になっていました。
入社が決まった直後から、突然泊まり込みの研修で、ひと月夫が家に居なくなったのです。

このときは、私にも余裕ができたのか、娘の帽子をミシンで手作りして、当時のガラケーで写真を撮ったり、オークションでベビー服を安値で落札したりしながら、楽しんでいました♪
色んなことが有りすぎて、当時の娘の可愛い様子をあまり覚えていないんですが、
この期間は心穏やかで、唯一育児をしてた記憶がある、そんな時期でした。

そして
研修から帰ってくると
何故だか妙な自信がみなぎった様子の夫。
それからはより一層、

【俺がお前たちを食べさせてやってる】
をスローガンに掲げ、あり得ない俺流の
常識を次々と、私達に押し付けてくる生活が始まりました。

何とか、私や、息子達の忍耐のみで成り立っていた結婚生活でした。
そこから3年後



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2012年の夏
決定的な事件が起きました。

この時、娘は3歳になっていました。

当時、夫は息子達と食事を一緒にとることを、許してくれなかったというのもあり、
私と娘、夫がリビング、息子達はキッチンという形で食事をとっていました。

時間はちょうど、夜のゴールデンタイム。

いつもなら、静かに食事をしている息子達が、その日は何やら楽しそうに
会話をしていました。

リビングにいる私にも少し聞こえるくらいの、穏やかな会話です。

ところが次の瞬間、
チッ!、と舌打ちが聞こえたかと思うと、
【うるせーな】
と突然、夫が吐き捨てたんです。

とっさに自分の目を疑いました。
傲慢もここまでたのかと。。。

でも、すぐさま我に返り、
頭にきて夫に抗議しようと、口を開こうと した瞬間

【うるせーなとは何だよ!ただ普通に話してただけなのに】
長男の方が先に反論、
彼がプツンと切れた瞬間でした。

それと同時に、長男は怒鳴りながら抗議を続けます。私はこの時のことは、詳細に覚えていません。

もう、完全に家庭内は分離していました

そんな長男が、必死に訴えてるのにずっと黙ってる夫。

【何でずっと黙ってんだよ】
そんなことを言う長男に

やっと口を開いたと思った夫は
【俺は、ボランティアでここに居るんしゃねぇんだよ】

そう、吐き捨てました。


これを聞き、更に私をかばうように
長男は怒りました。
このとき本当に、
私の中で、何かがプッツン
と切れた瞬間でした。

この直後、家を出ていってしまった長男は、彼女の所にしばらく転がり込んでいたようです。

そんなある日、夫が居ない時間を狙って家に帰ってきた長男

【お母さん、俺、愛知で友達が独り暮らしをしてるから、そっちで暮らすよ。俺のことはいいから弟と妹のこと頼むよ。】

笑顔でそんなことを言い、すぐに出掛けるからと。。。
私はじっくり考える間もなく、どうしても
行くという長男を、止めることができませんてした。
こんな、ビクビクして居ても落ち着かない 家で、ストレスを感じるより、良いのかもしれないと。
そして、心配で駅まで送りました。


この瞬間から
私の精神は壊れていきました。

自分も気づかないほど少しずつ

それから
私は毎日泣いて暮らしていました。

夫が居ないときはずっと。
とにかく何時間でも涙が出るんです。

でも
夫が家に帰ってくると、不思議と涙はピタッと止まる。
だけど、少しの時間でも1人になると、
ずっと泣いていた時期でした。

例えて言うなら、
身体の一部を無理矢理もがれたような、 
悲しい感覚。

もう2度と長男と1つ屋根の下で
生活できないんだ、そう考えるだけで、 
胸が押し潰されそうでした。

当時の手帳を見ると
【死にたい】
と連呼して書いてありました。

貧乏したことより
自己破産したことより
何倍も悲しかった
と、今の私なら客観的に 自己分析することができます。

気がつけば、私はほとんど
笑わなくなっていました。

何でそれがわかったのかというと、 
夫と別居してしばらくしたある日
娘が私の顔を見上げ、

『ママ、どうしたの?笑ってるよ?』

そう、不思議な顔で聞いてきたからなんです。


話を戻しますね

とにかく全然、
何をしてても楽しいと思えない日々。
自分が何を食べたいのか
どこへ行きたいのか。
そんな気持ちすらわからない。

ただ生きてるだけ

たまに、自分が今何歳で、
何月何日なのか
全部わからなくなり、パニックを起こした事も何回かありました。

私の欲求は、夫に何を言っても通してもらえない、そう感じて完全に、自分の気持ちも人生さえも諦めてしまっていた時期でもありました。

自己破産した私は
お金すら借りることもできない
ローンも組めない
逃げ出せない
そんな風に絶望していました

ただこの先、
この人とはずっと夫婦では居られない
これだけは
私の心の中でハッキリと決まっていました

夫は常に、自分の行きたいところ、食べたいものが優先して当たり前の生活。
自分が長男を追い出した原因だとも自覚せず
あろうことか

【あいつは、育ててやった俺の恩を
仇で返しやがった】

なんて信じられないことを
呟きました

今の私なら正常な感覚なので、瞬時に
夫を追い出す気合いと元気がありますが、
自己破産して間もない、当時の私は
そんな気すら起きません。

自分のせいでこんなことを招いてしまったのだと、日々、自分を責めていました。


昔、私が継母に嫌がらせをされて生活していた頃、父が助けてくれなかった悲しい経験を、息子達にまでさせてしまったんではないかと。。。


既に十分ボロボロなのに、更に自分で自分を精神的に追い詰めていたようなものです。

時折、LINEの長男の画像を見ては
悲しくて、切なくて気が狂いそうに
なっていました。


人は、断続的に同じ言葉を浴び続けると、
暗示にかかってしまいます

ミントもそれ通りになりました。

私は何をやってもダメな人
母親失格
残念な人 
使えない人
  。。。などなど



こんなとき、ちょっと、視点を変えて考えてみてください

私の場合でいうと
※ 夫と大切な子供の間に入り、必死に両方を気にかけてフォローしていた自分
※ 交換日記をしてまで、息子のことを心配していた自分
※ 赤ちゃんの娘に悪影響がいかないように、表向き、必死に普通に生活する努力をしていた自分

何でもいいんです。
ほんのわずかなことでもいいんです。
とにかく、自分が頑張っていることに、
目を向ける努力してみてください。

大抵、モラハラされて、それを耐えている方は、自分の価値をスゴく低く見ていたりするんです。

そして自信がないから、一人では何もできないと思ってしまうし、どんなに酷いことを言われても、自分が耐えればそれでいいと考えます。

でも、これって裏を返せば物凄い忍耐力なんです。

逆に、モラハラしている立場の人は、
一見とても強そうで無敵に見えます。
ですが、忍耐力は、ほとんどありません! 
本当は弱い人です!
だから人を利用して生きるんです
そして一番厄介なのは、
そんな相手のことをそれでも好きだと
思い込んでしまう自分
にあったりします。


でもそれは異性としてでしょうか?

元々世話好きで、情に厚いタイプです。
もしかしたら、身内的な情だったりしないでしょうか?
もしくは、この人は自分じゃなきゃ誰も
相手ができないんじゃないか?という
同情じゃありませんか?

自分の本当の気持ちに
気づけるヒントとなる部分なので、 
よく自己観察してみてください。

周りからどう思われるかとか、
迷惑をかけるとか、ここの部分の心配は、 一切排除し、シンプルに、正直な気持ちです。



この頃には週末、自由に友達と出掛けることすらできなくなっていました。 
どんどん自分の交遊関係も途切れていく。

友達の所に娘を連れて出掛け、家に戻ると、置き去りにされた夫の機嫌が悪くなって大変だったので、それすらほとんど諦めていました。

そんなある日
長男からTELが
家から出ていって
もう2年近い月日が経っていました。

【お母さん、友達と一緒に住むことができなくなったんだけど、働いて家にもお金入れるようにするから戻っても良いかな?】


最後までお読み頂き、ありがとうございます。
 
次回は、私が自分を取り戻すきっかけに
なる大きな転機が訪れます。



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