モラハラ夫の支配に気づき別居 人生V字回復しアラフィフで離婚するまでの6年間の実話

モラハラ·経済的DV夫と突発的に別居し経済的自立を果たす過程で本当の自分に行き着いたアラフィフ主婦の実話

【第6話】モラハラ夫との別居後 ミントが体験した元の自分に戻るためのリハビリ期間

夫が出ていく少し前から、ミントは転職先を探していました。

これまでの月収では生活をすることが難しく、少なくとも平日フルで働く必要があったからです。

夫をまだ好きだと思いこんだまま、新しい生活は始まりました。

それと同時に
不眠症と突然息苦しくなる症状に
苦しみました。

実は別居前、既に診療内科に行き、
睡眠薬等の薬はもらってはいましたが、
1度飲んでみたきり、クセになってしまうと逆に依存して治らないんではないか?
という恐怖があったので、薬は止めていました。

夜になると
布団で眠ろうとしても
全然眠ることができない(汗)

『眠れない』

その事実に、パニックを起こし
息苦しくなってしまうそんな毎晩

そんな精神状態ではあったのですが、一刻も早く働かなくてはならず、転職直後は、睡眠不足のまま、朝から仕事をしていました。

別居をしたんだから絶対に治る!

そこれけを信じ生活していました

夫の顔色を伺うことなく、子供達と
何の気兼ねもなく生活できる
それがこんなに幸せなんだと
改めて実感する日々。
それが救いでした

自由になった幸せを噛み締めながら、
元の自分になかなか戻らない苦しさや
もどかしさを同時に味わっている
そんな時期でした

夫と生活をした数年間
辛い出来事ではありましたが、今振り返れば、この経験があったからこそ、何気ない幸せに感謝できるように変化し、今現在の自分が出来上がったと感じています。

そして娘に出会えたことも嬉しい奇跡でした

別居直後、娘が私の顔を見つめ
不思議そうに

『ママ?どうしたの?笑ってるよ(笑)?』

そう呟いた台詞が、
どうしても忘れられません(笑)

娘からのこの一言で、自分がどれだけ無表情に感情なく生きていたんだと知ることができた、とても重要なセリフでした




初期こそ、自分の精神状態に苦しみましたが、そんな生活をして3ヶ月過ぎる頃には、不眠症の症状はほとんどなくなってきました。

現在は、何かない限りは、布団に入り、おそらく2分以内には眠りにつける程に回復しています。

呼吸が苦しくなる症状は、完全には治っていないものの、冷静に落ち着いて息が吸えてると、自分に言い聞かせていると落ち着いてきます

ラッキーなことに、どちらの症状も軽かったんだと思います。

でも実は、こんな症状になってしまった原因は、モラハラはもちろんですが、もう1つ理由がありました。

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それは、娘が生まれた3年後のことです

私のお腹に赤ちゃんが宿りました。

詳しくは割愛しますが
避妊をお願いしたのに、同意なく行った行為で出来てしまった子がいました。
娘の可愛さにメロメロだったので
できることなら、生みたかったんですが、夫婦揃って自己破産の後。。。
しかも当時
※夫が福利厚生のきちんとしていない会社で勤務していたので出産費用もなかった
※夫とずっと夫婦でいられる自信もなかった
※今育ててる娘の育児費用がギリギリだった

そんな、色んな理由から
泣く泣く辛い決断でしたが、諦めるという結論に至りました。。

手術当日まで、通院する度、ハンドルを握りながら泣いていました。

そんな辛く悲しい出来事と、長男が家から飛び出してしまった時期が重なっていたんです

1つの原因だけでなく、色んな出来事が重なりあって自分が限界になったのだと思います。

そして 
転職した新しい職場は、とても小さな会社で、従業員は4人程。
初出勤で挨拶をしたときにわかったのですが
、何とそこの会社は全員男性でした(汗)

私は、男性恐怖症になってしまっていたので、当時は怖かったです。
突然豹変して怖くなるんではないかと。。

でも元々、兄弟は弟2人、親戚も全て男性の中で育ったミントなので、3ヶ月も経つとかなり慣れてきました。

そして恵まれていたのは、
皆とても優しくしてくれたことです。

当時の私の年齢は44歳。
決して若くはなかったのに、
驚くほど親切にしてもらえたんです。

そんな、職場の人達の雰囲気にも助けられ、
彼らの、自立したものの考え方、生き方を観察していき、段々とミントの中で変化が起こり始めました。

私は、夫という狭い世界に閉じ込められ、その中で支配されていたこと、そんな異常な環境に身を置いて生活していたことを自覚していったのです。

モラハラは、家庭内というごく限られた狭い環境下で起こっています。

ミントの様に、あまり自由に行動することができない状況にあると、その異常な環境が普通であると、勘違いしてしまうんです。

他に比べる対象を目にすることが極端に少ないからこそ、だとは思うのですが。。

そして、人間は苦しいと、その気持ちを誤魔化すために、その異常な環境すらまだ恵まれていると、自己暗示をかけてしまう心理状態に陥ってしまうんです。

この心理は、実際に経験をした人にしかわからない恐怖かもしれません

最低ギリギリのラインで自分の心を守るための自己防御策でした


そして、別居してしばらくは、
自分の気持ちを押し殺し我慢をしすぎていたことで、自分の欲求すらわからなくなっていました。

何が食べたいか?
どこに遊びにいきたいのか?
そんな単純な願望までわからなくなっていた私は、パニックを起こしました。

願望をもつことを長い期間諦めていたことで、自由になっても、すぐに元の自分に戻ることができないんです。

なぜ、そんな簡単なことがわからなくなってしまったのか、今のミントならわかります。
何を言っても
否定され
却下され
バカにされ
無視をされる
挙げ句に質問とは関係のない言葉が相手から返ってくる
噛み合わない会話
まるで、そこに自分が存在していないかのような扱いを受け続ける。。
それを嫌ってほど何回も繰り返され、そのうち、全ての欲求を諦めてしてしまうんです。

ただ、日々時間が過ぎていくのをジッと待つ
そんな生活です。

例えば
夫が1人稼いでいる環境下にあったりすると、余計に出口がみえなくなって、ただ諦め、耐えるだけの日々になってしまいます

離婚したくても
※子供を1人で育てる自信がない
※年齢的にもうどこも雇ってもらえない
※資格もない。。。
※自信もない

そんな心理に陥ってしまいますよね。。


別居スタート直後は、このような感じで、子供達との幸せを噛み締めながらも、心が回復するには、ある程度時間が必要でした。




★次回は、別居後の夫との関係性、住むところが別々になってもしばらくの間は、翻弄されていた時期がありました。
その時の様子や、時間経過ごとの関わりの変化を綴っていこうと思います



最後までお読み頂きありがとうございました♡

【第5話】突然の衝動的な決断 私はこれでモラハラ夫と決別を決意した

【お母さん、友達と一緒に住むことができなくなったんだけど、働いて家にもお金入れるようにするから戻っても良いかな?】

突然、長男から
切羽詰まった様子でTELがかかってきました

この時
彼が飛び出して
2年の月日が経っていました

それまでの間、夫は事あるごとに私の息子たちのことを、以前にも増して酷く罵るようになっていました

【きもい】
【あんなヤツ死ねばいい】
【俺は言葉で人を2度と立ち直れなくする自信がある】
【アイツらと一緒の墓に入りたくない、養子縁組を解除しろ】

とにかく、聞くに耐えない言葉ばかり
そんな暴言を吐く夫が、私には
悪魔に見えていました

大事な息子の悪口言うなんて
絶対に許さない!   

それが
本心でしたが、夫に反論すれば、
更に、酷い言葉の反撃を受ける

そう思っていたので、私は精神的にギリギリの状態を保ちながら黙って無視をしていました。

長男が家から居なくなり、天下をとったようにルンルンで生活をしている夫

長男が帰ってくることは
絶対に許さないだろう

でも
私が大切なのは息子

私はまず母として長男に、夫とケンカをしたまま衝動的に家を飛び出してしまったことを一言謝りつつ、毎月家にも生活費を入れると、伝える覚悟があるのかを、本人に再確認してみました


長男が悪いとは感じていませんてましたが、
出来るだけ夫の神経を、逆撫でしないような態度で挑まなければ、いつまでもその部分を逆手にとり、しつこく反論をしてくるのは明らかだったので、長男に提案してみたのです

長男はもちろん 
その覚悟がある!
というので、本人の意志を確認した私は、夜夕食の後に夫に話をしました。

『長男が、友達と一緒に住むことが出来なくなったって連絡してきたから、帰ってきても良いって言ったよ。』

すると案の定

【なに勝手に許可してんだよ!
俺は一生許さないからな!あんなヤツ
その辺でのたれ死ねばいいんだよ!】

想定内の反論に私は何を言われても、
夫の罵倒を一切無視しました。

これで離婚になっても、もうこの人の
言うことは絶対にきかない!
そう心に決めていたからです

この時、黙りこんだ私を見た夫は、
私が大人しく諦めたと、
都合よく解釈していたようでした

私は、夫の反論はなかったこととして、
長男が帰ってくる、その日を待ちました


そして、2014年のGW
長男は、ようやく夫の居ない昼間に
我が家に帰ってきたのです

強行突破です
久しぶりに私と長男、次男、長女
4人で顔を合わせ、買い物に行ったり、
モスバーガーを長男が買ってくれたり。
なんと私にお小遣いまでくれたり、とても
楽しかったのを覚えています。

そして夜

1人何も知らない夫は
仕事から帰ってきました

玄関に入ってすぐ、約束どおり長男は、
頭を下げ、毎月家にも生活費を入れるので、お願いします。
と夫に告げ、ちゃんと筋を通しました。

突然のことに
夫は、呆気にとられた様子の表情です

わかったのか、わからないのか
よくわからない反応で、靴を脱いだ夫は、 私の横を通りすぎる瞬間

【話があるから寝室にきて】

と呟きました
私が寝室に行き、扉を閉めた瞬間

案の定

【何でアイツ戻ってきてんだよ!
俺は許可してないのに、何でだよ!
ストレスでどうにかなりそうだ!
頭がおかしくなったら
どう責任とってくれるんだ!】

私は、
このときの夫の自信に満ちた偉そうな顔を
忘れることができません

でも、
何を言われても私の心は
変わりません
何もかも限界だったのは私でした

『。。。もう既に、私の方がストレスで、
夜も眠れなくて、呼吸も苦しいので、
とっくにおかしくなってます!
。。もうこれ以上、酷いこと言われ
続けたら、あなたの事憎んで恨むようになる。だからそうなる前に
別居してください!』

私はそうハッキリ訴えました

そうなんです

長男が帰ってくる少し前から、私は不眠症になっていました。
呼吸もできてるのに、苦しくなる

きっと夫に反抗することも
恐怖だったんだと思います

私自身もこの時
自分が衝動的に
『別居』
と言い出したことに、正直
驚いていました

でも、限界まで我慢をした結果、
突然飛び出してきたのがこの言葉でした


夫は、よほど自分に自信があったのか、
私からそんなことを言われるなんて 
夢にも思っていなかったようで、呆気にとられ、ビックリした表情のまま固まっていました

【俺はどうしたらいいんだ】
とか
【親父に話せない】

など、色々とブツブツ抵抗されたような
記憶があります

でも私の意志は固く、何とか絶対に別居を
したくて、あるウソを思い付きました

《長男が自立して、落ち着いたらまた一緒に暮らすつもりでいるから》
そう伝えたのです
もう2度と、一緒に暮らすつもりはなかったものの、この言い方ならとりあえず納得して出ていってもらえるだろうと咄嗟に考え、出た嘘でした

夫も、これ以上ゴネると、今度は私から
『離婚』
という台詞を言われるのも嫌だと判断
したのか?
諦めの雰囲気を醸し出したので、続けて
いくつかの条件も出しました

※おそくとも2週間以内に出ていって欲しい
※出ていくまでの間、少しでも息子たちの悪口を言ったら絶対に許さない

でも、
この時の私はまだ魔法にかかっていました

それでもまだ、夫のことが好きだと
思い込んでいたからです

だからせめて、嫌いになって恨む前に、自分の目の前から居なくなって欲しかったんです

マインドコントロールがまだしっかり
解けていない状況ではありましたが、

夫より大切なのは子供たち

という気持ちがハッキリとあったので
全然意志は揺らぎませんでした

一番下の娘がこのとき5歳

この先、人格的に問題のありそうな人と
同じ屋根の下で生活させたくない、だから、もう一緒に暮らすのは限界の時期だと、わかっていたんです



そんな風にマインドコントロールが解けていない状況であっても、しっかり考えることが
できるようになったのは、長男が2年前に
飛び出して居なくなっていたからです

長男の行動がきっかけで、私は一番大切なのは何なのか?
痛いほどよくわかっていました

マインドコントロールはとても
恐ろしいものです


監視下に置かれた立場の人間は
全ての欲がなくなり、奴隷になります
恐怖で、自分の大切な子供も守れないまま、重大な事件に繋がってしまうのは、とても悲しいことですよね

体験してわかったことは、常に一緒の行動を強要されるので、夫以外の人との関わりが、極端に少なくなることにもあります

そして
被害を受けている方の性質は
元々、人にあまり物事を相談せず
何でも自分で乗り越えようとするところがあるのではないでしょうか?

ミントの場合は辛い素振りすら、
周りに見せませんでした


本当に何か大きなキッカケがないと
自分でそのコントロールから逃れようとするのは至難の技です

ミントの場合はとてもラッキーでした

長男の家出

これがなければ、ズルズルといつまでも
自分を見失っていたかもしれないと思うと、今でも長男には感謝しかありません

【1人で悩まないでください】

無料の電話相談でも何でも良いです

【辛い】

まずは、そう本心を言える場所をご自分に
作ってあげてください

【幸せな素振りもいらないですよ】

きっと、頑張り屋さんなので身内には相談できない方もいるんではないでしょうか?

ヒントがありそうなので、記事のURL貼っておきますね⭐︎

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そういえば
出ていく夫の荷物を整理していて
気づいたことがあります

それは「結婚」という大きな決断をした人に
しては、余りにも荷物が少なかったことです

本当に、ただホームステイする人レベルの
私物しかない現状を見たとき

この人は、結婚という意志が最初から
大してもっていなかったんだと、思い知りました

結婚指輪
記念写真
新婚旅行

思い出になるものなんて、最初から何1つありませんでした

この家から夫が出ていっても
本当に一緒に暮らしていたんだろうか?
そう思えてしまうほど。。。

夫の持ち物は着替えとゲーム類だけ

あとは全て私の物
アパートの契約者も私

そんな現実を改めて知った瞬間でした

そして2週間後

約束どおり夫は大人しくでていきました

この時の気持ちは、寂しくないといったら、嘘になります

再婚したときは、一生添い遂げるつもりで、一緒になった訳ですから

そして、感謝していることは
娘という存在に出会えたことです

娘の誕生は、私にとって幼かった頃からの傷を癒す、1つの大きなきっかけにもなったからです

これは、モラハラとは別の親との関係性の話題になってしまうので、この場では省略ささて頂きますね

このあと
私は、不眠症とパニック症状に向き合うことになりました
 
実はこうなるのには、他にも理由が
あったんです

それは次回、お話ししますね。
次は、モラハラ夫と別居後の生活と心のリハビリについて買いていきたいと考えています♪


パートナーにモラハラされてる方は、
いつかわかってくれ改心してくれる!

そう信じながら、自分に我慢をさせて
しまいます。
そして、相手に暴言を許してるということは、パートナーに対してまだ気持ちがあるということ、そして怖いからです。

ミントも、別居直後はまだ夫が好きだと思い込んでいました。

自分はダメな人間だと刷り込まれていたので、リスペクトしてたんですね。

今考えると、意味がわかりませんが。。

そんな風に思ってしまうのは
マインドコントロール
なんです。

コントロールしている相手は、確実に
自分の思い通りになっていると、自信を
もっているので、まさか相手から別居や離婚を言い渡されるとは、夢にも思いません。

なのでいざ、こちらから 
別居したい!
離婚したい!
と強くでると、一旦は大人しくなる人が多いんではないでしょうか
(ほとぼりが冷めるとすぐに元のオラオラになりますが)

そして、いざ一緒に生活をしなくなり
しばらく経つと、好きだと思っていた気持ちが幻だったと、気づく瞬間が訪れるんです。

すると、次第にどれだけの理不尽を
自分が受け入れて、我慢をしていたのかと、やっとパートナーと出会う前の自分に、戻り始めようとする様になります。

客観的に相手を見つめることができるように変化していきます

ここまでくるともう少しですが
まだ、後遺症的なトラウマのようなものを抱えていることを自覚するんです。

更に、自分の状況を客観視できるようになることで、また自分を責めるという心理に陥ります。


ミントは別居して5年
でもまだ離婚をしてもらえません。
この辺も、できれば綴っていきたいと考えています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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【第4話】最大の事件 私はこれでモラハラ夫を断捨離しようと決意した

今回の話を書くのに、かなり勇気が
必要でした。ミント🍀にとって、辛く思い出したくない部分の記憶だからです。

でも、きっと昔の私のように今、とても苦しんでいる方がいるかもしれない。 
どんな小さなことでも何かヒントになれば!そんな思いで続きを書きますね★

娘が生後2ヶ月間近という、
育児にはとても大切な時期から3ヶ月間、
無職でいた夫。

家の中でのみ、俺様キャラだったので、
夫は、自己破産で司法書士事務所へ行くときは、借りてきた猫のように、小さくなっていました。

この様子って、割りとモラハラしてる人
当てはまったりしませんか?
家では俺様なのに、一歩外に出ると
丸で違う人物に成りすます。

そんな、オドオドする様子を見て
(ざまあみろ(笑))
と正直思ってしまっていた
ブラックなミントです(笑)

夫自身の自己破産後、
夫はようやく職に就きました。
その頃、季節はもう既に夏になっていました。
入社が決まった直後から、突然泊まり込みの研修で、ひと月夫が家に居なくなったのです。

このときは、私にも余裕ができたのか、娘の帽子をミシンで手作りして、当時のガラケーで写真を撮ったり、オークションでベビー服を安値で落札したりしながら、楽しんでいました♪
色んなことが有りすぎて、当時の娘の可愛い様子をあまり覚えていないんですが、
この期間は心穏やかで、唯一育児をしてた記憶がある、そんな時期でした。

そして
研修から帰ってくると
何故だか妙な自信がみなぎった様子の夫。
それからはより一層、

【俺がお前たちを食べさせてやってる】
をスローガンに掲げ、あり得ない俺流の
常識を次々と、私達に押し付けてくる生活が始まりました。

何とか、私や、息子達の忍耐のみで成り立っていた結婚生活でした。
そこから3年後



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2012年の夏
決定的な事件が起きました。

この時、娘は3歳になっていました。

当時、夫は息子達と食事を一緒にとることを、許してくれなかったというのもあり、
私と娘、夫がリビング、息子達はキッチンという形で食事をとっていました。

時間はちょうど、夜のゴールデンタイム。

いつもなら、静かに食事をしている息子達が、その日は何やら楽しそうに
会話をしていました。

リビングにいる私にも少し聞こえるくらいの、穏やかな会話です。

ところが次の瞬間、
チッ!、と舌打ちが聞こえたかと思うと、
【うるせーな】
と突然、夫が吐き捨てたんです。

とっさに自分の目を疑いました。
傲慢もここまでたのかと。。。

でも、すぐさま我に返り、
頭にきて夫に抗議しようと、口を開こうと した瞬間

【うるせーなとは何だよ!ただ普通に話してただけなのに】
長男の方が先に反論、
彼がプツンと切れた瞬間でした。

それと同時に、長男は怒鳴りながら抗議を続けます。私はこの時のことは、詳細に覚えていません。

もう、完全に家庭内は分離していました

そんな長男が、必死に訴えてるのにずっと黙ってる夫。

【何でずっと黙ってんだよ】
そんなことを言う長男に

やっと口を開いたと思った夫は
【俺は、ボランティアでここに居るんしゃねぇんだよ】

そう、吐き捨てました。


これを聞き、更に私をかばうように
長男は怒りました。
このとき本当に、
私の中で、何かがプッツン
と切れた瞬間でした。

この直後、家を出ていってしまった長男は、彼女の所にしばらく転がり込んでいたようです。

そんなある日、夫が居ない時間を狙って家に帰ってきた長男

【お母さん、俺、愛知で友達が独り暮らしをしてるから、そっちで暮らすよ。俺のことはいいから弟と妹のこと頼むよ。】

笑顔でそんなことを言い、すぐに出掛けるからと。。。
私はじっくり考える間もなく、どうしても
行くという長男を、止めることができませんてした。
こんな、ビクビクして居ても落ち着かない 家で、ストレスを感じるより、良いのかもしれないと。
そして、心配で駅まで送りました。


この瞬間から
私の精神は壊れていきました。

自分も気づかないほど少しずつ

それから
私は毎日泣いて暮らしていました。

夫が居ないときはずっと。
とにかく何時間でも涙が出るんです。

でも
夫が家に帰ってくると、不思議と涙はピタッと止まる。
だけど、少しの時間でも1人になると、
ずっと泣いていた時期でした。

例えて言うなら、
身体の一部を無理矢理もがれたような、 
悲しい感覚。

もう2度と長男と1つ屋根の下で
生活できないんだ、そう考えるだけで、 
胸が押し潰されそうでした。

当時の手帳を見ると
【死にたい】
と連呼して書いてありました。

貧乏したことより
自己破産したことより
何倍も悲しかった
と、今の私なら客観的に 自己分析することができます。

気がつけば、私はほとんど
笑わなくなっていました。

何でそれがわかったのかというと、 
夫と別居してしばらくしたある日
娘が私の顔を見上げ、

『ママ、どうしたの?笑ってるよ?』

そう、不思議な顔で聞いてきたからなんです。


話を戻しますね

とにかく全然、
何をしてても楽しいと思えない日々。
自分が何を食べたいのか
どこへ行きたいのか。
そんな気持ちすらわからない。

ただ生きてるだけ

たまに、自分が今何歳で、
何月何日なのか
全部わからなくなり、パニックを起こした事も何回かありました。

私の欲求は、夫に何を言っても通してもらえない、そう感じて完全に、自分の気持ちも人生さえも諦めてしまっていた時期でもありました。

自己破産した私は
お金すら借りることもできない
ローンも組めない
逃げ出せない
そんな風に絶望していました

ただこの先、
この人とはずっと夫婦では居られない
これだけは
私の心の中でハッキリと決まっていました

夫は常に、自分の行きたいところ、食べたいものが優先して当たり前の生活。
自分が長男を追い出した原因だとも自覚せず
あろうことか

【あいつは、育ててやった俺の恩を
仇で返しやがった】

なんて信じられないことを
呟きました

今の私なら正常な感覚なので、瞬時に
夫を追い出す気合いと元気がありますが、
自己破産して間もない、当時の私は
そんな気すら起きません。

自分のせいでこんなことを招いてしまったのだと、日々、自分を責めていました。


昔、私が継母に嫌がらせをされて生活していた頃、父が助けてくれなかった悲しい経験を、息子達にまでさせてしまったんではないかと。。。


既に十分ボロボロなのに、更に自分で自分を精神的に追い詰めていたようなものです。

時折、LINEの長男の画像を見ては
悲しくて、切なくて気が狂いそうに
なっていました。


人は、断続的に同じ言葉を浴び続けると、
暗示にかかってしまいます

ミントもそれ通りになりました。

私は何をやってもダメな人
母親失格
残念な人 
使えない人
  。。。などなど



こんなとき、ちょっと、視点を変えて考えてみてください

私の場合でいうと
※ 夫と大切な子供の間に入り、必死に両方を気にかけてフォローしていた自分
※ 交換日記をしてまで、息子のことを心配していた自分
※ 赤ちゃんの娘に悪影響がいかないように、表向き、必死に普通に生活する努力をしていた自分

何でもいいんです。
ほんのわずかなことでもいいんです。
とにかく、自分が頑張っていることに、
目を向ける努力してみてください。

大抵、モラハラされて、それを耐えている方は、自分の価値をスゴく低く見ていたりするんです。

そして自信がないから、一人では何もできないと思ってしまうし、どんなに酷いことを言われても、自分が耐えればそれでいいと考えます。

でも、これって裏を返せば物凄い忍耐力なんです。

逆に、モラハラしている立場の人は、
一見とても強そうで無敵に見えます。
ですが、忍耐力は、ほとんどありません! 
本当は弱い人です!
だから人を利用して生きるんです
そして一番厄介なのは、
そんな相手のことをそれでも好きだと
思い込んでしまう自分
にあったりします。


でもそれは異性としてでしょうか?

元々世話好きで、情に厚いタイプです。
もしかしたら、身内的な情だったりしないでしょうか?
もしくは、この人は自分じゃなきゃ誰も
相手ができないんじゃないか?という
同情じゃありませんか?

自分の本当の気持ちに
気づけるヒントとなる部分なので、 
よく自己観察してみてください。

周りからどう思われるかとか、
迷惑をかけるとか、ここの部分の心配は、 一切排除し、シンプルに、正直な気持ちです。



この頃には週末、自由に友達と出掛けることすらできなくなっていました。 
どんどん自分の交遊関係も途切れていく。

友達の所に娘を連れて出掛け、家に戻ると、置き去りにされた夫の機嫌が悪くなって大変だったので、それすらほとんど諦めていました。

そんなある日
長男からTELが
家から出ていって
もう2年近い月日が経っていました。

【お母さん、友達と一緒に住むことができなくなったんだけど、働いて家にもお金入れるようにするから戻っても良いかな?】


最後までお読み頂き、ありがとうございます。
 
次回は、私が自分を取り戻すきっかけに
なる大きな転機が訪れます。



※ご質問のある方はお気軽にTwitterのDMよりお願いします♪

【第3話】娘生後2ヶ月でまた働かなくなったモラハラ夫

自己破産、流石にショックでした。。。

ショックすぎて、大きなお腹を抱え、スーパーに歩いて向かっている最中、ミント🍀は
意識が朦朧とし、何もない所で転んでしまいました。
とっさに四つん這いで踏ん張りましたが、お腹を少しぶつけてしまったのと、自分のアゴ、手のひらに怪我をし、慌てて病院に行った程でした。

幸い、お腹は無事でした。
不幸中の幸いとでもいうのでしょうか?
その衝撃で、逆子だった赤ちゃんが一回転し正常になっていたのです♪


自己破産の時
その場で夫に約束をしてもらいました。
 
『私が今回、犠牲になって自己破産することは大変なことなんだよ。もし、これでまた以前のように、仕事を突然辞められたら、親にも誰にも頼れるところはないんだから。そしたら今度は、あなたに自己破産してもらうから』
そんな風に言う私に対して、この時ばかりは
 
【。。うん】

わかってるのか?わからないような表情で、夫は頷いていました。

残った財産は、夫の親名義の車1台。
義理父の名義に変更してから、自己破産してもらいました。
交通の便が良くない地域に住んでいるので、最低でも一台、夫が仕事に通うのに必要でした。

そして夫は、大手の企業の工場に交代制で勤務し始めました。
返済は全てなくなったので、何とかギリギリの生活が始まりました。

ただ、私が出す夕食が気に入らないと、一口食べ、黙って無言で箸を置き、

【何か他に食べるものないの?】
と冷蔵庫に歩いていくような状態。

『もったいないからちゃんと夕飯食べてよ』
という言葉は、いつも完全に無視されます。

更に
『お菓子もそんなに買ったらお金かかるから止めようよ』
と続ける私に

【俺の働いたお金で生活してるんだから、ミントは黙って俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ。俺流(笑)】

徹底的に無視されるか、俺様で全く噛み合わない会話を繰り返す日々。

玄関にある息子達の靴が少しでも曲がって脱いであると、ものすごい勢いで蹴っ飛ばし

【何で曲がって脱いでんだよ!】

とキレます。

流石に

『何も蹴ることないじゃん!!止めてよ!!』
と私も怒るんですが、いつものように無視されるか、

【キモいんだよ、若貴兄弟】
と言い捨てます。
しかも、若貴兄弟とあだ名呼び。

お金使いが荒いので、返済はなくなっても、苦しい状況は続いてました。


そのまま、臨月を迎えた直後、
予定より3週間早い時期ではありましたが、無事元気に娘を出産。
あと1日早かったら早産になっていたそうです。
このときの出産費用は、夫の働いてた会社の福利がしっかりとしていて、ちゃんとと出たので、とてももラッキーでした♪


出産後、やっと母子同室で、夜を過ごすことになり、部屋に娘がやってきました。

青白くて、華奢な赤ちゃん。。

その子を胸に抱き、見つめてると、
涙が出てきました。
嬉しい気持ち以上に、命の重さを感じてしまったんです。

こんな小さい命
ちゃんと育てられるかな?
こんなにお金なくて、ミルクや色々買えるかな?

そんなことを考えながら
責任の重さに胸が押し潰されそうでした。

でも、そこは私。
冷静に自分を分析。
これは、産後うつと呼ばれるような症状に 近いのかもしれない。
それなら、そこで参ってる訳にはいかない!
頼れるのは自分だけなんだから!

絶対、ママが守ってあげるから

そう決意したのをハッキリ覚えています。

入院中の家事や掃除は、夫ではなく、息子達が交代でやってくれてました
(↑ここ自慢してるところです(笑))

ある朝
夫が布団から出ようとせず、仕事へ行く気配がありません。。

『仕事行ってよ!』
と言い寄ると

【もう無理。俺、あんなところにいたら頭おかしくなる。職場のやつら、おかしいよ、元気すぎて】
何で、しっかり元気に働いてる人がおかしいみたいになってるの?
本当に意味のわからない理由でした。

どんなに説得しても、責めても、一向に動きません。そのまま、不登校の子供のように仕事を辞めてしまったんです(汗)

娘、生後2ヶ月目前のことでした。。。

ここで、悲しみに暮れてる場合じゃないと
私は、夫の親にも相談しました。
これまでの経緯も全て話しました。
ところが、返ってきた返事が

【夫君も仕方ないなぁ。。。】

とまさかの一言。。。
絶句でした。
それ以上、私も言葉がでませんでした。

ただ、お金の援助はできないけど、毎月の娘のミルクは買ってくれると言ってくれました。
私の乳腺が細く、母乳だけでは足りなかったんです。

そこから、実に3ヶ月間、夫は無職でした

その間、私はまだ残っていた、自分のピアスや貴金属、父親から二十歳のお祝いにもらったゴールドのコインペンダント、全部を売り、お金に変えました。

それでも、どうにも足りず、今度は夫名義のカードでお金を借りる状況に。。

結果、
とうとう夫まで自己破産となったのです。

私が犠牲になった意味はあったのかどうなのか。。。


ただ
現在は、
毎日元気に暮らすことができています(笑)


モラハラなパートナーにつかまりやすい
タイプ】

私なりに、分析してみました。

※ 基本的に長女や長男(もしくは兄弟の面倒をみてきたタイプ)
※ 親のしつけは厳しく、言い訳は許されなかった
※ 誉めて育てられていない(なので自信がない)
※ 忍耐強い
※ 口が固く、あまり周りに相談できない
※ 親に愛されてないと感じて育った

こんな感じのタイプが多いんではないかと感じます。

このような傾向の方は、とにかく何があっても最終的に自分が悪いんではないかと、考えてしまうところです。

私がこうすれば良かったのかな?。。と
自分を責める
どんなに相手が悪くても必ず、
自信がないので最終的に自分が悪いと考えてしまう。
そんな自分の習性に気づいてますか?

私は、親に愛されいなかった
と思い込んでいた寂しさを、人に愛を与えることで、面倒をみることで、埋めいてたように思います。

モラハラタイプの人】
いかに自分が楽をして生きることができるのか?
というのをとても重要に考えているので
(無意識に)
献身的で、我慢強いパートナーを見つけるのが、とても上手です。

そこで、お互いの需要と供給が一致し、恋人や夫婦になるパターンが多いんではないのでしょうか?


私はこの当時
こんな状態でも夫のことを好きだと思い込んでいました。

【俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ】
【ミントは、ダメな人間】
【何をやってもダメだなぁ】
【俺は貴族で、ミントは畑で大根作ってる平民】

あげればキリが無いほど、自信が無くなるような言葉を日々浴びせ、自分はダメだと植え付けられる

知らないうちに、マインドコントロールされてたんだとと思います。

私は一人では何もできない人間と。。

これに気づくのにはかなり時間がかかりました

でも
ここまで私もV字回復できたのだから、今、苦しんでる方も絶対に大丈夫だと、根拠のない自信で良いのでをもってください。

現在、50歳でも、当時より元気に若くなっています♪本当ですよ♪

※次回は、離婚を考えるきっかけとなった、決定的な
大事件を書きますね。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました♪




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【第2話】優しく紳士で穏やかだった夫の本当の姿。。新婚当初から豹変した夫★初めて知ったモラハラ

こんにちは
ミント🍀です
私は2019年時点で
50歳の一家の大黒柱です♪

家族構成は
息子2人(成人)
娘1人
私を含めた4人家族です♪ 
上の息子達は2人共、各々仕事を持ち働いていて、末っ子の娘は小学5年生。
そろそろ思春期に向かってる、
そんな状況にあります。


現在は、それほど大変ではなさそうな
我が家ですが、
実は5年前、
そんな私も不眠症パニック障害に陥り、 辛い体験を多々してきました。

これから、そんな自分の体験を綴りながら、
私と同じよう悩みをもつ方の、
1つのヒントになればと思い、
書かせて頂きます。

それでは、よろしくお願い致します♪



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2009年4月

私達は4年近い交際を経て、大恋愛の末、
夫婦となりました。
しかし、結婚に至るまで

※私は2度目の結婚で、子持ち
※夫の年齢が10歳下の初婚

という理由でかなり躊躇をしていました。

しかも当時
長男→高校入学
次男→中学入学
とダブルでの進学でしたので、近場の
家賃の安い所に引っ越しをする
予定にもなっていました。

『私と一緒になるということは、
普通に結婚するのと違って、
しなくてもいい苦労があるんだよ?
それでもいいの?』

私、ミントは何度か確認しました。

今から思えば
当時の夫は、その言葉の意味は、
全くわかってなかったのかもしれません(汗)

そんなやりとりをしながらも
最終的には、私の引っ越しに合わせ、
籍を入れるという形で、夫婦となりました。

ただ、籍を入れただけです
※ 結婚指輪なし←(私の母が買ってくれた)
※ 写真もなし
※ 新婚旅行なし

何にも無し無しでした

そして
夫婦になって2週間程経った頃でしょうか。
夫は、
【転職をしたい!】
と言ってきました。

当初は、私も夫を信じていた時期だった
ので、その時は家のため、給料のいい仕事に転職を考えてくれたのだと、嬉しくなり賛成をしました。

ところが 
次の職場が決まり、新たな転職先で、仕事を始めた2週間後、
夫は、工場で使ってる薬品が身体に合わず、無理だと突然退職をしてしまいました。

その晩、
寝室でぬいぐるみを抱え、膝を抱えながら
仕事に行きたくない!とショボくれた
夫の姿を見たとき

この人は、もしかしてヤバい人なんでは
ないだろうか?

そんなことが頭をよぎりました
それでも、気を取り直し、
働かなければ生活費も困るので、
慌てて次の職を一緒に探しました。

次は
トラックの配送の仕事
これも、やはり2週間で退職。。。

これっきり
しばらく夫は働かなくなりました。。。

そして 
結婚し最初の4ヶ月間
夫はとうとう定職には就きませんでした(汗)

慌てた私は、最初こそ自分の実家にお金を
貸して欲しいとお願いし、何とか20万借りることができましたが、育ち盛りの息子達の食事や、学校のお金などもあり、とてもそれではまかないきれませんでした。

そんな私の実家の親も、実は再婚なんです。
父→実の親
母→父の再婚相手
その再婚相手である継母は、私のことが好きではなく、最初の結婚が決まるまでの間、
よく嫌がらせをしてきた人でした。

自分の実家はそんな状況なので、私がお金を借りたいと、お願いしたときも

【私達の生活を脅かすなんて酷い!
これだけのお金をミント🍀に貸さなきゃいけないなんて絶対に許せない!二度と家の敷居をまたぐな!】
そんなメールを、私に一方的に 
送ってきたまま、勘当されてしまいました。

父に相談しても、
【それなら仕方ないな】
と言われて終わりでした。 
実家の話は一旦、ここで終わりますね。


最初、私も共働きで働いていましたが、
実はその頃ちょうど、お腹には娘が宿っていました。
初期の、つわりと貧血が酷く、
職場に相談したところ、辞めることが決定。
生活に困り始めた頃には、私にも職がなくなっている状況にありました。

夫の家族からしたら、初孫。
私の年齢も当時38歳、これを逃したら
次はないかもしれない。
そんなことを考え、産むことが決定していました。

毎月大した収入もないのに、あらゆるカードで借り生活。
気がつけば、お金の返済額ばかりが増えていく。そんな時期でした。

お腹もかなり大きくなり始め、
定期検診もたまにしか行けなくなっていました。

その後、夫は何とか工場に務め始めたものの、毎月の膨大な返済もあり、全然生活は回りません。

ここで、不思議に思いませんか?

何で私ばかりが返済工面してるのかな?
と。。。

この頃からじわりと、モラハラ発言や
夫からの威圧行動は始まっていました。

※ 私の息子たちのことをバカにする発言。
※ 息子がリビングにきて、一緒にテレビを見ていると、気に入らなそうに、チラチラと睨み付け、その場に息子がいることを許してくれない
※ 玄関の息子達の靴が少しでも曲がって置いてあると蹴り飛ばす

これら、ほんの1部です


まだ、小学6年生だった次男を心配した私は、交換日記をしていましたが、
それも、生活が困窮していくにつれ、途絶えてしまっていました(汗)

夫に
『お父さんにも助けてもらえない?
私はもう勘当されて、どこにも頼れるところがないんだけど』

と聞けば

【最悪な親だな、
うちは親父がもう年だから無理。】

の一言で終わりでした。

それどころか、
【東京で1人暮らしてるミントのお母さんは頼れないの?】
とまで聞いてくる始末でした。

その後、夫は
私の息子や実家の親、親戚に至るまで、
面白おかしくあだ名をつけ、バカにして笑いながら話してる姿に、段々、恐怖すら感じ始めていました。

だけど
私が頑張っていれば、
今にこの人も変わってくれる!
付き合っていた頃のように
優しくなってくれる!

そう自分に言い聞かせ、余計なことは考えずに必死でした。

そんな最中でも夫は
【ミントが大丈夫だって言ってお金借りたんじゃないの?どうするんだよ】
と日々、私に責任を押し付け責めてきました

私は、自分にできる限りのことをしました
※ 自分の車を売る
※ 金目の、貴金属や装飾品を全部売る

それでもとうとう
どう逆立ちしても毎月の返済が
できなくなり、銀行に相談に行きました。

すると、
相談員『そうですね(汗)。。これだと 
どう逆立ちしても返済は無理ですね。。
旦那さんはこれから頑張って働いてもらうためにも、名前がブラックになってしまうと 何かと不便なので、今回は奥さんが自己破産という手しかありませんよ』

私、妊娠8ヶ月頃の出来事でした。

それから大きなお腹を抱え、司法書士事務所に通う日々

そして臨月も近い冬
とうとう
自己破産となりました。



モラハラである旦那、我が家の場合はこうでした↓

※ 友達がいない
※ 交遊関係が家族以外ほとんどない
※ 年の離れた末っ子
※ 親に怒られたことがない&叩かれたこともない
※ 内弁慶で、外ヅラが良く、見た目は優しい雰囲気

と、こんな感じになります。

今、元気になった状態で振り返ると、
人間関係ができない人は、家庭内でしか 
威張れない、そんな偏った人が多いような気がします。

あなたにモラハラをしてくるパートナーにも当てはまるところがありませんか?

次回は、
そんなモラハラタイプの餌食になりやすい
私のようなタイプの人はどんな人なのか?

続きの実体験を書きながら、綴っていきたいと考えています。

最後まで読んで頂き
ありがとうございます♪



※ご質問のある方はお気軽にTwitterのDMよりお願いしますね♪

【第1話】モラハラに捕まりやすいミントができあがった生い立ちと自己紹介

こんにちは♪
まず最初に、私ミント🍀の生い立ちと
自己紹介をさせて頂きます
宜しくお願い致します♪

1969年春
この世に生まれ落ちたその瞬間から、
死の宣告を受けた私。
生後8ヶ月で生まれてしまった超未熟児
だったのです。

3回程の危ない山を越え、何とか
生き延びることができました。

病院の先生から心配された、脳の後遺症もなく、春に生まれた私が、退院できた時には、季節は8月の後半に差し掛かっていました。

その後
一歳半でやっと歩けるようになったミント。

そして、次第に重度のアトピー、喘息、体調不良に陥ると白血球が万単位で上がってしまう、血液に抗体があり献血、輸血ができない。という、なかなか虚弱な体質があることが、少しずつ発覚していきました。

小学校に上がるまで、8回程の入退院を繰り返しながらも、とにかく自由でオテンバ、
3年後に生まれてきた弟の面倒を良くみて
可愛がっていました。

小学生になり数年経つ頃には、
両親の仲が悪いことに気づき始めました。
父が母に手を上げるという、今でいう
DVだったので、夜中によくケンカの声で驚いて起き、泣いて仲裁に入ったりしていました。

そしてミントが12歳
あと少しで中学生になろうとするタイミングで、両親は離婚。
弟と一緒に、私は父親に引き取られ、
引っ越しをしました。

母は、精神的におかしくなってしまっていたというのと、父が私達を母に渡さなかったからです。

父と弟との生活が始まると、
父は今度、私に手を上げるようになりました。

【お前は、誰に向かって口を聞いてるんだ!】
これが、父の口癖でした。

私もちょうど反抗期に差し掛かっていたので、かなり反抗したのですが、
所詮相手は男性なのでかなうはずもありません。

その後、離婚をする前から付き合っていた女性と、父は再婚することになりました。

私は、父の老後の面倒をみるのが嫌だったので、誰かと再婚してもらった方が自分にとっても、都合が良いため再婚には賛成しました。
ところが
やってきた女性は、私と年齢が12歳しか違わず、子連れでした。

ここまで、簡単に書き、わかって頂けると思いますが、ミントは幼い頃から割りと我慢をしなくてはいけない環境に身をおいて、生きてきたタイプでした。

その後、父は精神的に落ち着き、新しい奥さんに手を上げることもなくなりました。

そして、今度は何かのドラマのように継母からの嫌がらせを、度々受けるという生活になりました。

今でこそ、平然と他人事のように書くことができますが、いつまで経っても自分の居場所がないという、寂しい心を隠しながら生きていました。



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その後、大学推薦を薦められたものの、
女がそこまでの学歴はいらないと、
就職をさせられたミント

高校を卒業し就職、自分で稼げるようになってすぐから、食事は作ってもらえなくなりました。

家には寝に帰るだけ。
洗濯物もミントのだけ残してあるので自分で洗ったりしていました。

食糧は毎週自分で買い、冷蔵庫にいれておいて、誰よりも朝早く起き、自分のお弁当を作る生活。他にも色々とありましたが、割愛させて頂きますね。

こんな生活を続けてしまっていると、感覚がマヒしてしまうんです。

自分が我慢して頑張るのが当たり前


そして、モラハラ男が大好きな、人格が出来上がってしまったんだと思います。

当時を振り替えると、思春期の一番多感な年頃に、母が側にいてくれなかったことは、とても私の人生に影響していました(過去形)。
でもこれは、モラハラとは関係ないので、詳しくは書きませんが、今後の人生を歩んでいく上で私の行動に、大きく影響してしていきました。

その後
23歳で結婚

新婚生活は横浜でスタートしました。
最初の旦那様は、職場結婚
2歳歳上の北海道出身の人でした。

大企業で働いていたというのもあり、
収入は安定していて、お金に困ることはありませんでした。

次男は、生まれた直後から1歳になるまでの間、喘息やヘルニアで7回入院するほど虚弱でした
 
その後、色々とあり離婚


そして、離婚を機に引っ越しをし
シングルマザーとしての生活が
始まりました

兼ねてから知り合いでもあり、愚痴も聞いてもらっていた、現在のモラハラから告白をされ、その後4年近くお付き合いをしました

とにかく
私をお姫様扱いするかのごとく
優しく、デート代、宿泊代も出してくれていました。
髪型、服装、雰囲気、全てを誉められ
見た目も優しい。

営業職をしていたので、リップサービスでもあると分かってはいても、昔から誉められた経験がない私からしたら、とても新鮮な経験でした

でも、時折見せる妙に冷たい発言や、
喧嘩をした時、別人のような冷酷な言葉を 発する態度に違和感を感じてはいました。

私自身、やっと見つけた自分の場所を失うのが怖くて、そこは深く考えられなかったのです。

結婚間近に、息子達に会わせてみても、
一緒にマリオをやってくれたり、気さくに遊んでくれました。

そして
2008年春
私たちは夫婦となったのです


次回から
モラハラストーリーが幕を明けます。
あれだけ優しく紳士で、穏やかだった夫の本当の姿、 新婚当初から豹変した夫、初めて知ったモラハラ




★最後までお読み頂きまして
ありがとうございました